福島原発事故とアメリカ =報道から見えてきたもの=

2011/05/10

 東日本大震災と福島第一原発事故が起きて以来、報道から目が離せない日々が続いていますが、原発事故をめぐる報道を追いかけていて、何度か「おやっ」と思いました。それは、右往左往する菅政権の後ろ側にアメリカの影が透けて見えたからです。アメリカは、原発事故以来ただちに行動を起こし、日本政府の対応に介入し、日本政府と協議する足場をつくり、日本政府の対応をコントロールしているように見えます。
 もちろん、福島原発事故の影響は日本一国にとどまることなく、今も地球全体の空と海を汚染し続けていますから、世界中の技術と知識を総動員して、一刻も早く核物質の放出を止め原子炉を冷却しなければなりません。しかし、なぜ、菅政権はアメリカとだけ、特別の機関をつくって協議を重ねているのでしょうか。(先回りして書けば、特別の機関とは3月22日に発足した「福島第一原子力発電所事故の対応に関する日米協議」です。)
 それは、日本の原子力産業が、原子爆弾開発以来のアメリカ軍産複合体による核開発と一体のものであることをはしなくも暴露しており、菅政権の右往左往に業を煮やしたアメリカの強引な対応は、日本の失態が自分自身の存在まで脅かすことを恐れるアメリカ原子力産業界の恐怖の現れのように見えるのは、私の思い過ごしでしょうか。
 平時には隠されている物事の本質が、危機の中で少しだけ表面に出てきたような気がします。

即座に反応したアメリカと自力での収束をめざした菅政権

 福島第一原発で過酷事故が起きた直後の3月11日(現地時間)、クリントン米国務長官は「在日米空軍が原子力発電所に非常に重要な冷却剤を輸送した」と述べました(3/11 ロイター)。翌3月12日には米原子力規制委員会(NRC)が専門家2名を日本に派遣したと発表しています。(3/13 朝日)
 しかし、当初、菅政権はアメリカの提案を受け入れず、自力での事故収束をめざしていたようです。アメリカ政府高官はクリントンが発言した同日のうちに、「在日米軍による冷却剤輸送は実施しなかった」(3/11 ロイター)と発言を修正しています。この辺の事情を日経(4/30 電子版)が伝えています。

 菅首相が知人に述べた言葉が報道されています。

「困ったら米国任せでいいのか。日本の危機にはまず日本人が立ち向かい、それから米国に頼む」(4/10 朝日)

水素爆発とアメリカの介入

 しかし、何とか自力で事態を収束させようとした菅政権のもくろみは、1号機と3号機が相次い水素爆発を引き起こしたことで不可能となりました。
 危機が進行する中でアメリカは圧力を強めます。ルース駐日大使は来日している米原子力規制委員会(NRC)の専門家が政府関係者と会えないことに抗議し(4/30 朝日 北沢防衛相の証言)、3月15日、パリで松本外相と会談したクリントン国務長官は福島第一原発事故に懸念を表明します。(3/16 朝日)
 3月17日、ルース駐日大使が福島第一原発から80キロ以内にいる米国人に避難を勧告した(3/17 朝日夕)ことが、菅政権に大きな打撃となったことは間違いありません。アメリカは、日本政府が独自の判断での事故収束にこだわり続けるならば、自分たちも独自の判断で独自の行動をとることを突きつけたからです。後日の朝日(4/7)には『日本側では「同盟国なのだから事前に相談してくれてもよいのに」などの不満が聞かれた』という、関係者のぼやきが掲載されています。
 菅政権はアメリカと緊密に協力して事態を収束させる方向に方針を転換します。3月17日、菅首相はオバマ大統領と電話で30分会談し、大統領が「原子力の専門家派遣や中長期の復興もふくめ、あらゆる支援をする」と表明したのに対して、首相は「米国から派遣されている原子力専門家と日本側の専門家の間で引き続き緊密に連携していく」と応じたのです(3/17 朝日夕)。後日、朝日はこの会談の冒頭、オバマ大統領が「これは形式的な会談ではない」と切り出したと伝えています(4/10 朝日)。アメリカの意向に従うのか従わないのか、はっきりしろと突きつけたわけですね。これは単なる私の想像に過ぎませんが、菅首相は震えあがったのではないでしょうか。
 3月19日、菅首相はルース駐日大使を招き、「国際社会には引き続き情報を隠すことなく共有したい」と伝え、20日、側近に「日米協議の枠組みをつくってほしい」と指示。3月22日から「福島第一原発事故の対応に関する日米協議」(以下、「日米協議」)が本格始動したわけです。(4/10 朝日)
 この日から、事故に対する対応は形式的にも実質的にも、アメリカと日本による協議をへて行われることになり、それが現在まで続いています。
 「日米協議」は・中長期対策チーム、放射線燃料取り出し移送チーム、・リモートコントロール化チーム、・長期冷却構築チーム、・放射能滞留水の回収処理チーム、・環境影響評価チームに分かれ、米側から米原子力規制委員会(NRC)委員長、米太平洋艦隊司令官、ルース駐日大使らが出席、日本側は細野豪志首相補佐官、長島防衛政務官、福山官房副長官、経済産業、防衛、文部科学など各省代表や東電が出席しています。そして、米側の要求を受け入れるかたちで、発足直前から軌道に乗るまでの間、官邸内には米原子力工学の専門家1人が常駐していたのです。事故発生直後にアメリカは米国スタッフの常駐を申し入れましたが、官邸内に外国政府関係者を駐在させることに異論が出て、日本政府はいったん断ったものの、最終的には受け入れを決めたのです。(4/21 朝日)。
 もちろん「官邸という政権中枢に外国人を受け入れるのはきわめて異例の対応(4/21 朝日)」でした。

アメリカがコントロールする局面へ

 こうして、事故対応策への直接的なコントロール権を獲得する一方で、アメリカはたくさんの人々を日本に送り込んでいます。

3/12 米原子力規制委員会(NRC)は専門家2名を日本に派遣したと発表。(前述)
3/15 米エネルギー省、34名の専門家を派遣と発表。
3/17 米国防総省、核専門要員9人を派遣したと発表。
3/28 米原子力規制委員会(NRC)のヤツコ委員長来日。
4/2 核・生物・科学(NBC)兵器に対処する米海兵隊の専門部隊「CBIRF」の先遣隊15人が来日。
4/3 米ゼネラル・エレクトリック(GE)の会長兼最高経営責任者が来日して東電の会長らと会談。
4/5 米海兵隊の専門部隊「CBIRF」の150人が横田基地に到着。
4/17 クリントン米国務長官来日。
4/24- 「CBIRF」帰国へ。

 他にも、原子力産業のメーカーから多数のスタッフが来日していることも報道されています。
 アメリカは日本から提供される情報に満足せず、事故直後から無人偵察機グローバルホークやU2偵察機を使って情報収集を行っており(3/19 朝日)、3月22日、米エネルギー省は偵察機を使って集めた汚染情報を公開しました(3/24 朝日夕)。公開された地図には、福島原発の周辺をなめるように飛行する偵察機の航跡と汚染の分布が記録されています。そこには、まさに自分たちの問題として詳細な情報を収集するアメリカの姿がが浮かび上がっており、自分たちの責任範囲(領土とまでは言いませんが)の現状をくまなく掌握しようとするアメリカの意志を感じるのは私だけでしょうか。(汚染情報の一部は今でもインターネットで見ることができます。)

 独自に集めた情報と長年蓄積された技術力をもとに、アメリカはさまざまな提案をして日本はそれを実行してきました。原子炉に注入する水を海水から真水に切り替えるさいは、「機材の腐食を防ぐためには、淡水に早く変更すべきだという米側からの非常に強い要請があった」(4/26朝日 北沢防衛相)と報道されています。水素爆発を防ぐために行われている格納容器への窒素注入も、原子炉を冷やすため、格納容器全体を水で満たす「水棺」の作業もアメリカから提案されたものです。
 見落としてならないのは、4月5日、横田基地に飛来した150人の化学・生物兵器事態対応部隊(CBIRF=シーバーフ)でしょう(4/6 朝日)。じつは、彼らは福島には行っていない(アメリカは80キロ圏内への立ち入り禁じていた)と指摘されている(週刊ポスト 2011/04/29)のですが、熱核戦争下、放射能で汚染された地域での戦争を継続するためにつくられた特殊部隊は、来日して自衛隊との共同訓練などを行い、視察した北沢防衛相から「国民に大きな安心感を与えた」(4/24 朝日)とねぎらいの言葉をかけられて帰国しました。 彼らの飛来は、原子力発電所の事故が、熱核戦争とひと続きのものであること、原子力発電所の爆発は核爆弾の爆発と同じ意味をもつ(規模は違うとしても)ということを象徴的に示しました。

クリントン国務長官の笑み

 事故直後から3月22日の「日米協議」発足まで緊張していた日米関係は、日本側がアメリカの要求を呑むことによって「正常化」されました。そして、4月17日のクリントン国務長官来日は、「日米協議」発足を踏まえた新たな日米関係が出発するためのセレモニーとなったのです。
 クリントン国務長官の来日を前にして、日米は、今年6月下旬に予定されている菅首相訪米に先だって開かれる、日米外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)で、「新たな共通戦略目標に、原子力利用における安全面での日米協力を進めることを明記する」(4/9 朝日)と決めました。紆余曲折をへて、アメリカが関与しコントロールするにいたった「福島第一原発事故の対応に関する日米協議」への過程を、日米両国が首脳会談であらためて承認することが確定したわけです。第2の福島原発事故が起きた場合、日本は即座にアメリカとの協議機関を設置して対応にあたることになります。
 アメリカは4月14日、「状況が改善した」として、原発の半径80キロ圏の外側を対象とした渡航延期勧告を解除し、在京大使館員家族に対する国外への自主避難許可を解除しました。原発の状況が「劇的に変わった」ほかに、「両政府間で調整が定期的かつ生産的に行われ」「リスクを測定、分析する能力が大幅に向上した」ことを理由にあげているのが思わせぶりです。それに先立つ4月7日、米原子力規制委員会(NRC)幹部が、米国の出した80キロ圏内の避難勧告は、福島第一原発2号機の燃料が100%損傷し、放射性物質が16時間放出されるというシナリオに基づくものだったと証言、委員長のヤツコ氏も別の場所で「現在得られているデータは、安全距離が約20マイル(32キロ)であることを示し続けている」(4/9 朝日)と発言しています。
 クリントン国務長官は4月17日、全米商工会議所会頭を引き連れて来日、震災復興に向けた両国の「官民パートナーシップ」を進めることを合意、その際、渡航延期勧告解除について「ビジネスマン、その他の米国人たちが平常通り、…日本に行ってくださいという対応だ」とのべ、経済支援の一環だとしました。そして、原発事故については「前代未聞の危機だ。我々の専門家はそういう認識だ」と述べて、楽観できる状況ではないと強調、日本側は当日発表された東京電力の収拾に向けた「工程表」を手渡しました。(4/18 朝日)。まるで「工程表」はクリントン氏に渡すために、この日にあわせて仕上げられたかのようですね。
 復興に向けた「官民パートナーシップ」を合意して震災復興ビジネスの足場を固めたこと、日本の原子力発電の安全管理について、しっかりとしたコントロール権を得たことに満足したかのように、クリントン国務長官は5時間だけ日本に滞在し、風のように去っていきました。ついでに述べておくと、当初あった震災の被災地に行く計画は「時間的制約」のために中止となりました。ただし皇居には赴いて天皇・皇后と懇談し、「天皇陛下も同席されたお茶への招待は異例。東日本大震災での米国の支援に対する謝意の意味もあるといえる。」(産経ニュース )と報じられています。

「原子力の平和利用」という欺瞞

 「原子力の平和利用」という言葉があります。奇妙な言葉ですね。「石炭の平和利用」とか「石油の平和利用」という言葉はありません。原子力エネルギーだけに「平和利用」という言葉があるのは、もちろん、本来、原子力エネルギーが究極の大量破壊兵器として、軍事利用のために開発されたものだからです。
 原子力エネルギーは広島と長崎で、開発者のねらい通りの威力を発揮して数10万人が殺されました。第二次世界大戦が終わり、米ソ冷戦がはじまると両国は核爆弾の高度化を必死に進め、イギリス、フランス、中国も参加した軍拡競争の果てに、世界には人類を何度も皆殺しにできるほどの核爆弾が現在も配備されています。
 「原子力の平和利用」とは、核爆弾の開発競争の中で生み出された軍産複合体の生産力を、非軍事部門に開放することを通して、維持、拡大していこうとする人たちが生み出した言葉です。日本の原子力発電技術はすべてアメリカから来たものであり、軍事部門と民生部門が一体化し、絡み合って成長してきたアメリカ原子力産業の一部門が、海を越えて移植されたものにほかなりません。今や誰でも知っているように、福島第一原発1号機と2号機はゼネラル・エレクトリック(GE)製、3号機は東芝が、4号機は日立が、それぞれGEの技術支援を得てつくったものです。「平和利用」は「軍事利用」を前提としており、日本での「平和利用」はアメリカ本土の軍事部門抜きには成り立たない構造になっていると思います。
 世界の原発の4分の1はアメリカ(104基)にあるのですが、戦後、アメリカの核の傘に入ることを拒否し、独自の核武装を推進したフランス(59基)が、同時に第2の原子力発電大国でもあることは決して偶然ではないはずです。
 福島原発事故がアメリカに与えた衝撃は、「平和利用」部門が世界的に行きづまることになれば、当然、「軍事利用」部門を含む全体に影響が及ぶという構造ぬきには理解できないでしょう。日本政府が事態を収拾できずウロウロしているうちに、水蒸気爆発で「東日本が壊滅する」(菅総理が言ったと報道され、後で必死に否定した言葉ですね)ことにでもなれば、「軍事部門」「平和部門」が一体となったアメリカの原子力産業全体も計り知れない打撃を受けるという見通しに恐怖したアメリカが、持てる技術と情報のすべてを携えて乗り込んできた、その過程が透けて見えたのが、この間の事態ではなかったかと私は思います。
 (脇道にそれますが…。原子力発電の是非を議論するとき、他の発電方式とのコスト比較は重要ですが、もし、原子力発電が原子爆弾製造技術と固く結びついた一体の技術だとしたら、「平和部門」のコストだけを切り離して論ずることはできないと私は思います。)
 今のところ、アメリカはうまくやっているように見えます。震え上がった菅政権に食い込み、「日米協議」機関を通して日本の原発をコントロールする足場を彼らは確保しました。しかし、いまだに過程は流動的です。
 それは、クリントン国務長官自身が述べたように事態が「前代未聞の危機」であり(ということは、アメリカはチェルノブイリを超える危機と認識している)、楽観できる状況ではないからです。そして、スリーマイル島事故とチェルノブイリの悲劇をへても廃絶できなかった原子力発電を、今度こそ廃絶しようとする人々の闘いが世界中で拡大していることも彼らを不安にさせていると思います。

美しい村を奪い去ったものとの闘いへ

 私は今回の事故のなかで、はじめて福島県飯舘村を知りました。テレビの映像が映す空から見た村には広々とした綺麗に整地された畑が続き、そのまわりを美しい森が囲んでいます。整然とした畑と青い森を守り育ててきた人々の自慢する声が聞こえてくるような、うらやましいほどの風景です。営々として人々が働き、暮らしてきたその村はもうすぐ無人になってしまいます。住み慣れた村を、何の落ち度もないのに追い出されていく人々は、今後どこで、どのように暮らしていくのでしょうか? 乳をできるだけ出さないよう、最低限のえさを与えられて、ガリガリにやせ細った牛たちはこれからどうなるのでしょう。
 東京電力の幹部が村を訪れたとき、高校生の女の子が「将来、結婚して子供を産んで生きていく、そうした夢が壊れたら補償してくれるのか」と迫ったという報道がありました。女の子の夢はお金には換えられませんから、誰にも補償することは不可能です。原発事故はこのように、人々からお金に換えられないものを奪い去りつつあります。東京電力も、日本政府も、アメリカも、原子力発電を推進してきたすべての人々は、今や自分たちが十万人ちかい人々から、決してお金には換えられないものを奪い去っていることを知らねばなりません。そしてもし事態がさらに悪化すれば、その数は何十万人、何百万人に拡大する可能性すらあることを知らねばなりません。
 人々が理不尽にも奪われてしまったもの、決してお金には換えられない大切なものを元通りにして返すことが、もう誰にもできなくなってしまった今、せめて人々にできることは、「フクシマ」という地名を、原子力発電が地球上から消え去るきっかけとなった場所として、未来の世界の人々が記憶するようになるために、力を合わせて闘うことしかないと思います。私はそうした闘いに加わりたいと思います。

<本文・了>

補論・アメリカはじめ各国の自国民保護政策

 本文で触れましたが、避難対象地域の設定や避難勧告が、政府間の争いの道具として使われている可能性は大きいのです。しかし、その点を考慮しても、各国の出した安全のための情報、自国民保護のための方策を日本政府の方策と比較すると興味深いことが見えてきます。
 まず、アメリカ軍は非常に慎重に行動してます。横須賀に配備されている原子力空母ジョージワシントンは定期メンテナンスを途中で中断して3月21日に出港、4月20日まで帰港しませんでした。在日米軍家族向けの「自主避難」計画には9,000人が応募、彼らはチャーター機で一時帰国したと思われます。
 トモダチ作戦に同行した朝日の記者は「放射能汚染に対して米側は、驚くほど神経をピリピリさせていた」と書き、米海軍は福島原発から125カイリ(231.5キロ)以内には入れない、50カイリ(92.6キロ)以内には航空機も入らないと説明されたと書いています(3/23 朝日)。当然のことながら、アメリカ軍は福島第一原発に近づいていません。日本側に機材を提供しただけです。
 民間人に対するアメリカ政府の勧告が「半径80キロ以内からの避難」ですから、軍人は民間人よりかなり大切に守られていることがわかります。私はもし破局的事態が起きていても、横田基地に飛来した化学・生物兵器事態対応部隊(CBIRF)は福島第一原発に近づかなかっただろうと推測しています。軍隊は危険を冒して民間人を守るものではない。軍隊は何よりも戦争を遂行する軍隊自身の機能を維持することを第一に考えるからです。
 前述したように、ルース駐日大使は3月17日、半径80キロ圏内からの避難を米国人に勧告して日本政府を慌てさせたのですが、これは許容される住民の年間被爆線量を10ミリシーベルトとして計算したものです。2号機で核燃料が100%損傷し、放射性物質が16時間放出されるという想定で出されたこの勧告について、朝日は「実は仮想シナリオ」と書いて、非現実的なものだったかのように書いていますが、そうではないと思います。17日の時点ではこの想定は非常に現実的なものでした。そうならなかったのは結果として「うまくいった」からであり、今後、「うまくいかなくなる」可能性もある。クリントン国務長官来日を期に、アメリカは「日本は安全にビジネスできる場所だ」と宣伝する方向に変わっていますが、80キロ圏内からの避難勧告自体は撤回されていないことに注意しなければなりません。80キロ圏からの避難という勧告にはイギリス、フランス、韓国なども同調しています
 アメリカが勧告にあたって、年間被爆量の限度を10ミリシーベルトとしている根拠を私は知りませんが、この値はなぜか、日本の原子力安全委員会が当初、福島県下の学校に採用しようとした値と同じです。今、福島県内の子供たちが20ミリシーベルトまでの被爆を強要されて大問題になっていますが、この問題は、アメリカ並みの10ミリシーベルトという基準を示そうとした原子力安全委員会の意向が、いつの間にか文科省の手で20ミリシーベルトに化けてしまったのだと言えなくもありません。
 アメリカ以外では、ドイツ外務省は3月16日、東京や横浜に住むドイツ国民に、福島第一原発事故の被害を避けるため、大阪や海外などへ避難するよう勧告し、イギリス政府も同様の避難勧告を出しました。ピーク時には32カ国の東京の大使館が一時閉鎖されましたが、3月28日にはそのうち16カ国が東京での業務を再開しています。(3/29 朝日)