「やはり、おっぱいには勝てず…」か、はたまた…?? (育児休業卒業記念論文)

 ユウの顔が私の乳首にそぉっと近づいて来ます。なんか変だなというような顔をしながら、一瞬のためらいの後に、私の小さな乳首にチュッと口をつけましたが、もちろん乳が出るはずもなく妙な顔をして、すぐに顔を離してしまいました。当たり前ですね、父親の乳を吸う赤ん坊がどこにいる。私は、くすぐったいやらおかしいやら、そして照れくさいやらで大笑い。向こうでお母さんも笑っています。お姉ちゃんが、
「私も、私も」
 と言って寄ってきました。
「馬鹿言ってるんじゃないよ」
 と私が言っても、
「ユウだけ、ずるい」
 しぶしぶ同意すると、今度はお姉ちゃんの顔が胸元に近づいてきました。6歳の子の口はもう大人の口です。ヌメッとした感覚が乳首に触ったとたんに、こりゃあたまらん。
「だめだめ、やっぱりだめ」
 と突き飛ばしてしまいました。
「やっぱりずるい」
 とお姉ちゃんは本気で怒っています。

 私が5ヶ月間のお母さん役を終えて、職場に復帰してから3ヶ月半がたちました。ユウは1歳と3ヶ月、わけのわからない奇声を発しながら(明確な言葉はまだ出ません)、部屋の中や社宅の庭を元気に走り回っていますが、まだおっぱいを飲んでいます。お母さんの顔を見るとまずおっぱい。夜中も2、3回おきてはおっぱいをせがむのでお母さんは慢性的な睡眠不足が続いています。それに上下4本ずつ、計8本生えた歯でときどき乳首を噛まれて、お母さんが悲鳴を上げることもしょっちゅうです。
「もう、いい加減にしてよ。おとうさんのおっぱいもらってきなさい」
とお母さんがユウに言ったので、よし、俺のおっぱい吸わせてみよう、と思ったわけです。でも、やっぱりおとうさんのおっぱいは吸いませんね。って当たり前かあ。まったく馬鹿なんだから…。

 でも、私は思うわけです。ユウがやっぱり「お母さん、お母さん」と寄っていくのはおっぱいのせいだ。俺にだっておっぱいがあれば、もう本当にお母さんと同等になれるのだと。そう言うと、お母さんは、それは違うとにべもなく言います。彼女は難しい言葉でものごとをしゃべることはしないので、ただ冷たく「違うわよ」としか言いませんが、そう言う彼女のそぶりからは、母親が母親であるのは、なにもおっぱいという機能があるからという、それだけのことではないのだ、もっと根源的な母と子のつながりがあるのだ、あんたなんかにかわりがつとまるわけないじゃない、という自負が読み取れます。本当は私にも、そんなことはわかっているのです。ユウにとってお母さんの持つ重みと私の持つ重みが大きく違うこと。それは何もおっぱいのあるなしによる違いではなく、ユウを育てていくことに対する、関わり方の違いから来るのだということを。けど、悔しいなあ、おっぱい、おっぱいとお母さんに寄っていくユウを見ているのは…。

 私が育児休業を終えて職場復帰してからは、当然夫婦2人ともフルタイムで働いているわけですが、お母さんは現在のところ、泊り勤務は命じられていないので、週休2日の日勤勤務です。私は朝9時に出勤して、翌朝9時まで勤務する泊り勤務が主で、休日は一定していません。そこで、現在どういうふうに家事・育児を分担しているかと言えば以下の通りです。

 物理的に家事・育児にさく時間は私3~3.5、お母さん6.5から7というところでしょうか。でも、これも日記に書きましたが、問題は家事・育児に対する責任感というか、人生においてどれだけのウエイトを家事・育児に振り向けているか(おおげさ、ハハッ)というところで、ぜんぜんお母さんと私では違っているということです。お母さんは常に子どものこと、家のことについて気遣いを忘れず、定型的な家事・育児以外のいろんなことをこなしている。「そろそろ秋だけど、秋の服あったかな」とか「靴が小さくなってきたから買わなくちゃ」とか、「予防接種しなけりゃ」とか、「ピアノやりたいって言い出したお姉ちゃん、ヤマハの体験教室に連れて行こうかな」とか、考えることはいっぱいあって、気を抜くことはできません。定型的な仕事以外のこうしたさまざまなことに責任をもって、初めて家事・育児をやってますと言える。しかし、私は自分でこれはやろうと思った家事・育児の分担をこなしているだけで、それが終わればすぐにパソコンに向かって何かやったり、友達と飲みに行くこと考えたり(こちらの方は、最近ほとんどありませんが)気持ちが常に家事・育児から離れていくわけです。

 私の方針として、心から沸いてくる自然な感情をできるだけ尊重して生きようというのがありますから、日々の生活では……だから、「平等な子育て」はとりあえず建前としてはありますが、「無理のない範囲でできるだけ平等に」私も子育てに参加しようというのが、本当のところかもしれません」(1月8日の日記)……という、まことに甘いものになってしまいます。
「おとうさんは、私に言われたことをやってるだけだから」
 お母さんにはそれがいたく不満で、そんな私が、いろいろなマスコミで「育児休業した進んだ父親」として紹介されたり、今度は横浜市長から「子育ての楽しい町-横浜-委員会」という、何やらおお甘な名前のついた委員会の委員を頼まれたりして、まんざらでもなさそうにしているのを、呆れ顔で、少し怒りを含んだ感情を持って見ています。

以上、'98/10記 


 上の文章を書いて、さあ締めくくりを書こうと思ってもう2ヶ月以上たちました。今日は何と大晦日。育児休業でお母さんをやったのももうずいぶん昔のような気がします。ユウはこのごろ言葉が少しずつはっきりしてきて、パパ、ママ、ワンワン、カァーカァー(カラス)など、10個ぐらいの単語を喋るようになりましたし、立派な歯も生えそろってきましたが、おっぱいはまだやめられなくて、お母さんは苦労しています。一方、あと3ヶ月で小学生になるお姉ちゃんは、このごろ急にしっかりしてきたように思えます。夫婦ともフルタイムで働き始めてから半年、前半に書いたような分担で家事育児をこなす日常が淡々と続いています。片方が家に居るころと比べると家の中が汚くなったこと、食事が手抜きになったことは否めませんが、それは仕方がないでしょう。
 今ではもう、駅で仕事をしている私はすっかり休職に入る前の私であり、「5ヶ月間であっても、専業主夫を経験すれば人生観変わるかも」と期待していたような変化はありませんでした。が、それでは育児休業の以前と以後と、「使用前」と「使用後」の違いはまったくないのかと言えば、やはり微妙な変化はあるように思います。炊事や洗濯や風呂の掃除や、つまり家事育児に向き合うときの気持ちが、もしも育児休職をすべてかみさんに任せていたと仮定した場合よりも、だいぶ自然体でこなせているような気がするのも事実です。

 ところで、育児休職を終えてから覚えた言葉に「家族的責任」というのがあります。男であろうと女であろうと家事にも育児にも責任を果たさねばならないという、極めてあたりまえのことをさす言葉ですが、それが今の日本社会では合意されていないわけで、企業社会日本にあっては、男には、家事育児を女に任せて、身も心も会社と仕事に専念することが求められ、女には、たとえフルタイムで働いていても家事育児の責任が押し付けられている。こういう風土の中で男に依存せず自立しつつある女たちは結婚しなくなり、子を産まなくなっているわけです。
 医療環境が向上して寿命が伸びる一方、1人の女が平均して1.5人しか子供を産まなくなって人口の高齢化が急速に進む今の社会を、政府は「少子高齢化社会」と名づけて、何とか出生率を上げようとがんばっています。そういうことがあるから、めぐりめぐってわたしのような者にも横浜市の委員会の仕事が回ってくるようになっている。
 私としては別段社会の高齢化と人口の減少を悪いことだとは思っていなくて、日本は今の半分くらいの人口でも全然かまわないと思うのですが、そんな私が、「少子高齢化」を恐れる人々からみると、「理想のお父さん」とまではいかなくても「模範的なお父さん」になるから面白いですね。総理府提供のTV番組やNHK教育テレビで紹介されたのには笑っちゃいました。(ところで、私を「模範的なお父さん」としてTV番組で紹介した総理府や、委員会の委員にした横浜市で、男性職員の育児休業取得率がどうなっているのか、男性職員が育児の「家族的責任」をどのように果たしているのかぜひ知りたいものですね)。

 来年はどんな年になるのでしょう。来年もまたばたばたと子育てに振り回されながら暮らしていくことになることだけは確実ですが、そんななかでも無理せずに、できるだけ自分自身の気持ちを尊重しながら、そして、お母さんや子供たちの気持ちももう少し尊重して暮らしていきたいと思います(今年はしょっちゅう夫婦喧嘩して疲れました)。卒業記念論文と銘打ちながら、またもいいかげんな文章で終わってしまいましたが、これで、一応「お父さんの育児休業日記」をおしまいにしたいと思います。お読みいただいた皆さんに心から感謝しつつ筆をおきます。

'98/12/31