極私的夫婦別性考 「私××姓になっちゃったんです」

('97/03/01発行「汽笛」復刊4号より) 

 戸籍上の名前が変わりました。××格になっちゃったんです、私。
 ことの起こりは、ふとした会話でした。フォーラム'90sという集まりがあって、これは左翼系の研究者と活動家が一緒にやっている運動・組織なのですが、私も一会員です。そこが「フォーラム'90s」という、月刊雑誌を出していて、毎月送られてきます。元気がいいのがフェミニズム関係の文章で、書いている人も若い人が多いようです。「差別」というものに、ずっと関心を持ってきましたが、近年は女性差別の問題についても考えることが多く、まあ、こんなことを書くと、「また格好つけて」と言われそうなので、内容ははぶきますが、関心を持って読んでいたのです。
 その雑誌のある号に、私よりだいぶ若い男性の文章が載っていました。彼いわく、「夫婦別姓が選択できず、男中心の家制度を固定する現行戸籍法の体制に反対ならば、余儀なく戸籍上の婚姻をするときには、妻の姓を選択すべきで、夫の方が通称名を使うべきである。私もそうしている」
 なるほどそうだと思った私は、今回、結婚した相手に、その話をしたわけですね、俺もそう思うとか何とか、自慢げに。そうしたら、彼女、何を思ったか、すぐに、
「そうね、それ、いいわね。じゃ、××になってくれることを、結婚の条件にしようかな」
 と言ったわけです。全然、フェミニズムなんか関係なく、長男は家を継ぐのが当然、女は結婚したら男の家に入るのが当然だと思っているはずだったのに。
 実は、彼女が自分の姓を選択することに、賛成したのは、四才になる娘が、もう自分は「××里帆」だという自覚を十分もっていて、スムーズに久下姓になることを認めるかどうか、ずっと心配していたという事情があったわけです。(知らないでいた私が馬鹿だった)。保育園に通っていれば、もうある意味ではりっぱな社会の一員で、そこではもちろん××里帆ちゃんでとおしてきたわけですから、事情のわからない子どもにとっては相当の負担になる。おなじような経験をする子供のなかには、新しい名字に慣れないで、苦労する子供もいるようですから、それを心配していたわけです。
 それで、××姓になることになったのですが、婚姻届けを出す日が近づいてくるに従って、だんだん憂うつになってきました。やっぱり一番気になったのは、職場でどう思われるのかということ。ええっ、点呼で「××社員」「はい」ってやるのか、いやだなあ、同僚はどう思うだろうなあ、と、その日が近づくにつれて気分が重くなってきました。職場に行くと、聞かれもしないのに「今度、××になっちゃうんだ」と喋っては、同僚の反応をさぐりました。思ったとおり、大半の反応は「お前、養子に行くのか」というもの。なかには、「いいんじゃないの」という仲間もいましたが、そういう時も、顔に同情の色が浮かんでいるのは否めませんでした。こうなるのは、予想されたことで、こんなことは平気のはずなのに、日に日に動揺は深まりましたが、私としても、一度言い出した言葉は飲み込めませんから、結局、昨年十一月某日、戸籍上は、××格になったわけです。
 さて、現状を報告しますと、今のJRではとても無理だろうと思いながら、だめもとで出した嘆願書に、現場長が理解を示してくれ、現場長の裁量で可能な限り、旧姓でとおせることになりました。それで、職場では久下で働き続けています。しかし、保険証の名前、割引券の名前、社員証の名前、給料の印などは軒並み戸籍上の名に変更せねばならず、給料を振込先も、戸籍名の口座をつくらされました。結局残るのは名札の名、点呼の呼び名と、現金引継書などに押す、職場段階で使う印くらいになりそうです。庶務助役は「まあ、久下というのは芸名になったと思え」と、すげなく言い放つ始末です。それでも、JRでも別姓で働けるという実績をつくったという意味では、小さな一歩になったかと思いますから、もしも、これから夫婦別姓を選択しようという人がいたら、知らせてあげてください。家庭でも別姓で通しています。社宅の玄関に××&久下と書いて貼ったら結構噂になったようで、初めて参加した広場の草むしりで事情を説明したら、「ああ、やっぱり。最近はやりの夫婦別姓かしらって話してたんですよ」と言われて笑っちゃいました。
 さて、今回の事態で考えたのは、物の名前というものには、ただの記号を超えた力のようなものがあるということ。記号なんだから、どちらでもよいというものではないようです。だからやはり、結婚に際して九八パーセントのカップルが男の姓を名乗るという現状が、男社会を再生産しているのは、間違いないと思います。もう一つ考えたのは、まあ最初からわかっていたこととはいえ、私のなかにある、抜き難い男中心主義です。「養子に行くのか」と問われて、「違うんだよ、実は子供が…」と一生懸命説明しているのはわれながら滑稽なほどでしたが、やっぱり、「養子に行く」と思われたくないという気持ちが、強く沸いてくる。戸籍は彼女の籍に入ることになりましたが、住民票の戸籍筆頭者を私にしたのは、「男の意地」みたいなものが関係しています。
 本当の男女平等とは何か。考えさせられた「名字事件」の顛末でした。


【追記】

(2000/03/13) 

 現場長の裁量で、部分的に夫婦別性を認められた私でしたが、その後、現場長が変わって、別性の使用が認められなくなり、98年6月に5ヶ月間の育児休職明けで復職して以降、職場では全て××姓になってしまいました。さらにその後、組合差別による隔離職場から13年ぶりに山手線の駅に戻ったので、新しい職場では最初から××姓。私が「久下」であることを知っている人は職場からいなくなり、いちいち説明するのも面倒なので、もうまるで××として働いています。たまに「久下君いますか」などと電話がかかってきたりするのですが、「久下…そんな人はいないよ」と言われてしまったこともあります。
 あと、唯一私を「久下」だと証明してくれていた免許証が、昨年夏の書き換えで××になってしまい、もう、私を「久下」だと証明してくれるものもありません。そうこうしているうち、自分の姓を「××です」と言っても、当初感じていた違和感がだんだん薄れてきてしまいました。やはり、習慣とは恐ろしいものです。
 自民党と社民党の連立政権時代に成立間際まで行った「夫婦別性」法案。自自公ではもう当分陽の目を見そうにありませんねぇ。このままでは本当に「××」になってしまいそうです…って、いや、現状に流されず頑張るつもりですが。