鉄建公団訴訟の判決を聞いて

2005/12/06 

 JRに採用されなかった国労組合員が鉄建公団を訴えた裁判の一審判決が9月15日、東京地裁で出されました。以下はその直後に書いたものです。談話室にもほぼ同じ書き込みをしていますが再録しておきます。猛威をふるう新自由主義路線の重大な突破口であった国鉄の分割・民営から18年。被解雇者と家族たちの必死の闘いは、やっと、「不当労働行為はあった」ということを裁判所に認めさせることができました。しかし、「清算事業団からの解雇は有効」、「慰謝料500万円」という 判決では闘いをやめるわけにはいきません。

18年の苦闘を強いたお詫びが500万円とは!

 9月15日、鉄建公団訴訟の判決を聞きに東京地裁に行きました。新橋駅から 日比谷公園を抜けて東京地裁にむかうあいだ、20年近くにわたる私たちの闘いがどう評価されるのか、そんなことが頭にうかんですこしドキドキしていました。そして、JRに採用された私でさえドキドキするのだから、当該の闘争団員と家族はどんな思いで判決をむかえているのだろうということに考えが及んで、身の引き締まるのを感じながら裁判所に着きました。
 「折衷判決」という紙が掲げられ、不当労働行為は認定するが清算事業団の解雇は有効、慰謝料500万円という内容が明らかになったとき、宣伝カーの上 にいた岩崎さん、内田さんの何ともいえない顔。もちろん喜びはなく、しかし怒りでもない深刻な顔。私には、さらに闘いを続けざるをえないと原告・家族に非情に突きつける判決を、必死に飲み込もうとしているように思えました。 ある支援団体の知り合いが近寄ってきて、「闘える足場になったね。不当労働行為は認めたのだから」と、地裁前全体の重苦しい雰囲気とはちょっと違う明るい感じで言いましたが、私は素直に同意できませんでした。もちろん、不当労働行為が認められたこと、たった500万円とはいえ慰謝料が認められたこ とは闘いの足場になるでしょう。いわゆる支援勢力の人々の客観的な分析は間違いではない。しかし、闘争団員と家族は、すでに18年間闘ってきたのであり、この判決で、否応なくあと何年も闘い続けねばならないことが確定したのです。闘争団員と家族、総勢では2,000 余人になるであろう人々が、これから何年も苦しい闘いを続けていかねばならないということの重みをどう表現すればいいのでしょうか。
 それにしても、500万円にはあきれました。判決は不当労働行為があったと 認めた。認められた国家的不当労働行為は、不当解雇とその後の闘争団の苦しい闘いの原因そのものに他なりません。闘争団員と家族に18年間の闘いを強制したことのお詫びが500万円であるわけです。裁判制度にはやはり人間の血が 流れていません(って、あたりまえか)。
 判決が出て少ししてから、闘争団員らしい人が仲間に対して「裁判所にとっては、500万円はこれからの和解交渉のたたき台のつもりかもしれないな」と 話しているのが聞こえました。ああ、そうかもしれない、と思いました。いくら少額とはいえ、不当労働行為が認定されて慰謝料が提示されたことは可能性を生みました。利子も含めて一人あたり800万円、25億円余を闘争団はすでに 仮差し押さえましたね。国労本部が「JRに法的責任がないことを認める」という四党合意を飲んで強引に闘争の幕を引こうとしたとき、国が出すと言われたのが確か80万円ですから、自立して鉄建公団訴訟に立ち上がった闘争団員は少なくとも解決水準を10倍引き上げたといえます。そして、闘い続けることで、解決水準を引き上げられることが明らかになったことで、いまだためらっている闘争団員、本部に従ってきた闘争団員も含めて1,047名が名実ともに総団結 することができれば、勝つことは不可能ではないと思います。私は、本州の定員割れで運良くJRに採用された組合員として、本来ならば闘う闘争団の一員として闘っていたはずの者として、納得できる解決、闘ってきてよかったと本当に思える日がくるまでがんばろうと、あらためて思います。