国にたてついた一労働者の想い出(解説)

2017/02/28

 当サイトのお薦め(笑い)、国鉄分割・民営のころを書いた「見晴らし荘のころ」は、「謡子追想」という題で本になっていますが、先日、出版元(教育史料出版会)を経由して、元国労宮崎闘争団の大先輩から「国にたてついた一労働者の想い出」という手製のパンフレットが送られてきました。「謡子追想」を読んで、ご自身の記録を送ってくださったのです。大変ありがたく、そして、大変感激しました。東京地裁での2008年の陳述も同封されていて、どちらも、国による不当解雇、国による不当労働行為に対して人生を賭けて闘った記録です。
 パンフレットには元国労宮崎闘争団員・馬場園孝次という署名の隣に、もう一つ、元国鉄宮崎車掌区車掌長とありました。この署名を見て、私は馬場園さんの仕事への誇り、それを奪われた悔しさ、怒りの一端を見たような気がしました。
 私が1974年に19歳で国鉄に入社したとき、最初の職場は東京車掌区の用務掛(通称、起こし番)でした。さまざまな時刻に始業する仮眠室の車掌を時刻通り起こしたり、仮眠ベッドを整えたりする仕事でした。東京車掌区は、九州まで何本も走っていた国鉄の花形寝台列車、ブルートレインを受け持ち、車掌のほか、寝台車1両に1人ずつ乗務していた乗務掛(列車ボーイ)も沢山いてにぎやかな職場でしたが、中でも、列車における客扱いの責任者である車掌長は特別の存在でした。東京車掌区には車掌長専用の休憩室があって、部屋に入るのも話しかけるのも緊張したこと、車掌長の腕章を巻いた先輩には、若造の私など近寄るのもはばかられる雰囲気があったことを思い出します。「元…車掌長」という署名には、馬場園さんが車掌長として、さぞ自信を持って働いていたこと、それが、一片の解雇通知によって解雇されたことの悔しさ、怒りがこもっていると思いました。そうした労働者の自信、自負を踏みつけにして強行された分割・民営化でした。

「今でも国鉄の分割民営に反対したことは正しいと信じています」。

 まさに私もそう思います。誠実に働いていた労働者を、「焼身自殺」が思い浮かぶほど追い詰めた国家的不当労働行為の記録は絶対に残さねばならない。インターネットでの公開に快く応じてくださった馬場園孝次さん、大変ありがとうございます。

「国にたてついた一労働者の想い出」→PDF版

「国にたてついた一労働者の想い出」→html版

2008年、東京地裁での意見陳述 →html版  涙が…そして怒りが!!